妹と俺を女手ひとつで育ててくれた母からの最後の手紙・・

昨日4時22分に母が亡くなった
風邪一つ引かない元気な母だった。

俺が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。

朝は4時に起きて俺らの弁当作って
6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って
11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって俺と妹は育てられた。

反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て
反抗なんてできるはず無かった。

いや・・・一度だけあった。

クリスマスの2,3日前
ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに
自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。

母は「ごめんね・・・」
と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
俺も何故か悲しくなって
家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも
同じ布団で抱き合って寝た。

クリスマスの日の
夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、
最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」
と言おうとしたけど
うれしそうな母の顔を見ていえなかった。

あれから20年、
兄妹そろって大学まで出してくれた。

俺も妹ももう就職したし
「これからは楽させてあげるから仕事やめなよ」
っていったのに。
「働いてなきゃボケる」
って・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行に
いこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは
死ねないっていってたのに。

なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた
「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに
「迷惑かけてごめんね」
ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。

震える手で書いた枕もとの手紙
・・・読んだよ

「耕ちゃんへ・・・

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